子どもに将来の夢がないのは、選択肢の地図を渡していないからかもしれない
将来の夢がない、あっても「医者」しか出てこない。その背景には、親が選択肢の地図を渡せていない事情があるかもしれません。高松市の学習塾クローネ学園が、子どもの進路と将来設計を、経済学の視点も交えて考えます。
「うちの子には、将来の夢がない」
「夢はあるみたいだけど、『医者になりたい』の一点張りで、その割に勉強はしない」
高松で子育てをするご家庭から、こうした声をよく聞きます。
こういうとき、私たちはつい「意欲が足りない」「本気で考えていない」と思いがちです。でも、たくさんの親子を見てきて感じるのは、少し違うことです。夢がない、あるいは夢がひとつに偏るのは、子どもの意欲の問題ではなく、多くの場合、まだ選択肢の地図を見ていないだけなのです。この記事では、子どもの将来設計と、そこで親ができることを考えます。
「将来の夢がない」のではなく、「見た世界が狭い」だけのことが多い
子どもは、自分が知っている世界の中からしか、将来を選べません。これは当たり前のようでいて、見落とされがちなことです。
私たちは、見たことも聞いたこともないものを、望むことができません。世の中にどれだけ多様な仕事があっても、その存在を知らなければ、子どもの選択肢には最初から入っていないのです。
つまり、「将来の夢がない」という状態は、意欲がないというより、まだ選べるだけの世界を見ていないという状態に近い。地図を持たない人に「行き先を決めなさい」と言っても、決めようがないのと同じです。
このことは、経済学の考え方とも重なります。ノーベル経済学賞を受賞した経済学者アマルティア・センは、人の豊かさや自由を、持っているお金の量ではなく、「その人が実際に選べる選択肢の広さ」 ではかろうとしました。センはこれを潜在能力(ケイパビリティ)と呼びます。同じように、子どもにとっての将来の可能性も、知っている職業の数ではなく、実際に選べる選択肢がどれだけ広いか で決まります。選択肢が一つしか見えていない子は、たとえ本人に力があっても、選ぶ自由を持てていないのです。
だから、責めるべきは子どもの意欲ではありません。まず必要なのは、地図を広げて見せること。言いかえれば、選べる選択肢そのものを増やすことです。
「医者になりたい」は、夢ではなく視野の狭さの症状かもしれない
将来の夢を聞かれて、多くの子どもが口にする職業があります。医者、学校の先生、ケーキ屋さん、スポーツ選手。どれも悪い夢ではありません。けれども、なぜいつも同じ答えばかりが出てくるのか、少し立ち止まって考えてみる価値があります。
理由は、はっきりしています。子どもが思いつく職業は、身近で見聞きした、ごく限られた範囲に偏るからです。行動経済学では、人は 「すぐに思い浮かぶもの」ほど、実際より大きく、身近に評価してしまう ことが知られています。これを 利用可能性ヒューリスティック と呼びます。頭にパッと浮かぶかどうかが、判断のものさしになってしまうのです。思い浮かぶ範囲が狭ければ、選択肢もその範囲を出られません。
「医者になりたい」という言葉は、多くの場合、その狭い範囲の中で 一番すごそうに見えるもの を指しています。世の中にある無数の仕事のうち、たまたま子どもが名前を知っていて、しかも立派だと聞かされてきたものが、医者だったというだけのことが少なくないのです。
これは、高松の子が「とりあえず高松高校を目指す」のと、実はよく似た構造です。知っている選択肢の中で一番上に見えるものを、ゴールに据えてしまう。悪いことではありませんが、それが世界のすべてだと思い込んでしまうのは、もったいないことです。
だからといって、「医者なんて無理」と否定するのは違います。大切なのは、志望を否定することではなく、なぜ医者しか出てこないのかに気づき、それ以外の世界も一緒に見ていくことです。地図が広がれば、志望はより自分のものになります。
「応援するから」という言葉が、放置になっていないか
将来のことになると、多くの親御さんはこう言います。「本人がやりたいことを見つけたら、全力で応援する」。とても優しい言葉です。
けれども、ここには見えにくい落とし穴があります。「見つけたら応援する」は、裏を返せば「見つけるまでは何もしない」に近いのです。子どもが自分で興味を見つけ、自分で調べ、自分で決めるだろう。そう期待して、待つ。
でも、先ほど見たとおり、子どもは知らない世界を選べません。地図を渡されないまま「自分で行き先を見つけなさい」と言われている状態で、多くの子は立ち止まります。すると親は「うちの子はやりたいことがない」と感じる。実際には、選ぶための材料をまだ手にしていないだけなのです。
これは、親の愛情が足りないという話ではありません。「応援する」という前向きな言葉が、いつのまにか 選択肢を見せる役割を手放す 理由になってしまう、という構造の話です。応援の前に、まず地図を広げる。その順番が、案外抜け落ちやすいのです。
親の役割は、行き先を決めることではなく、地図を広げること
では、具体的に何をすればよいのでしょうか。ここで大切なのは、線引きです。
| やりがちなこと | 目指したい関わり方 |
|---|---|
| 「この仕事に就きなさい」と行き先を決める | 「こんな仕事もあるよ」と選択肢を見せる |
| 見つけるまで待つ(=実質は放置) | 日々の会話に、世の中の仕事を少しずつ入れる |
| 収入や地位で仕事を語る | 「誰の、どんな役に立つ仕事か」で語る |
行き先を親が決めてしまえば、それは押しつけです。子どもは自分の人生を選んだ実感を持てません。かといって、何も見せずに待つのは放置です。
親がやるべきことは、そのどちらでもありません。世の中にはこんな世界がある、と地図を広げて見せること。そして、最終的にどこへ行くかは、子ども自身に選ばせること。行き先ではなく、地図を渡す。決めるのはいつも子どもです。
散歩の途中で見かけた工事現場、病院、お店、電車を動かす人。「あの人たちは、どんなふうに世の中の役に立っているんだろうね」と一緒に想像するだけでいい。特別な進路指導は要りません。日々の会話が、そのまま地図になります。
賢い子ほど、職業を「地位」ではなく「役割」で語る
ここで、少し希望のある話をします。
たくさんの子を見てきて、はっきり感じることがあります。学びが深い子ほど、目指す中学や大学、将来の職業の軸がはっきりしていて、しかも 「その仕事で、世の中にどう役立ちたいか」 まで、自分の言葉で語れるのです。「医者になりたい」で止まる子とは、明らかに違う語り方をします。
この違いは、経済学の言葉で整理するとよく見えます。「医者になりたい」と地位で語るとき、子どもは職業を、まわりからすごいと思われるための シグナル(記号) として見ています。経済学では、学歴や肩書きが「この人は優秀だ」という信号として使われることを シグナリング と呼びます。一方、「その仕事で誰をどう助けたいか」と語る子は、職業を記号ではなく その仕事が世の中に生み出す中身そのもの で見ています。同じ「医者」でも、前者は看板を、後者は中身を見ているのです。
そして、順番を間違えないことが大切です。「賢いから貢献を語れる」のではありません。「役に立ちたいという軸があるから、学びが深くなり、結果として賢くなる」。因果は、この向きです。貢献したい相手や世界がはっきりしていると、そのために学ぶことが自分ごとになる。だから、しんどい勉強も引き受けられる。
つまり、「誰かの役に立ちたい」という気持ちは、思春期の学びを支える強いエンジンになります。動機づけの研究でも、人は 自分の行動が誰かの役に立ち、つながりを感じられるときに、外からのごほうびがなくても自ら動き続けることが知られています。小さいころは「面白いから学ぶ」だったスイッチが、成長とともに「役に立ちたいから学ぶ」へとバトンタッチしていく。この乗り換えがうまくいった子は、遠いゴールに向かって、自分の足で走り続けられます。
だからこそ、親が差し出せる一番の贈り物は、「貢献を語りなさい」と求めることではありません。誰かの役に立って喜ばれた、という体験を、日々の中でそっと差し出すことです。役に立つ喜びを知った子は、放っておいても、その喜びをもっと味わえる場所を探しはじめます。
先を生きている親だからこそ、渡せるものがある
子どもより長く生きている親には、子どもがまだ見ていない世界が見えています。どんな仕事があるか、その先に何が待っているか、いつ何を知っておくと後で楽になるか。親と子のあいだには、必ず 情報の差 があります。経済学ではこうした情報の偏りを 情報の非対称性 と呼びますが、ここではそれは埋めるべき問題ではなく、親から子へ手渡せる贈り物 です。先に生まれた意味は、その景色を、一緒に歩きながら渡せることにあります。
中学受験を考えているなら、なおのことです。「受験とは何か」「どんな中学があるか」「そこに進むと、どんな世界が開けるか」。こうした話を、小さいころから家庭の会話にそっと混ぜておく。しんどい勉強を子どもが引き受けるのは、その先になりたい姿や、見たい景色があるときだけです。見せていないものを、子どもは選びようがありません。
これは「こうしなさい」と仕向けることとは違います。この時期に、この世界を見せておこうと設計すること。結論を出すのは、あくまで子ども自身です。親は、地図を広げる人であって、行き先を指さす人ではありません。
クローネ学園が大切にしていること
クローネ学園では、目の前のテストの点だけでなく、その先にある「なりたい姿」を子ども自身が描けるように関わることを大切にしています。なぜその勉強をするのか、その先にどんな世界があるのか。それが見えている子は、遠いゴールに向かって、自分の足で走り続けられるからです。
大学受験という遠い地点から逆算しても、最後にものを言うのは、計算の速さや暗記の量ではありません。「自分は、どこへ向かって、何のために学んでいるのか」を、自分の言葉で語れる力です。その地図を、できるだけ早い時期に、お子さんと一緒に広げていくこと。それを何より大切にしています。
まとめ
- 「将来の夢がない」のは意欲の問題ではなく、選べるだけの世界をまだ見ていないことが多い
- 「医者になりたい」の一点張りは、知っている範囲で一番すごそうに見えるものを指す、視野の狭さの表れであることがある
- 「見つけたら応援する」は、裏を返すと「見つけるまで放置」になりやすい
- 親の役割は、行き先を決めることでも、待つことでもなく、選択肢の地図を広げて見せること(選べる選択肢の広さこそ子どもの自由になる)
- 職業を地位(シグナル)ではなく「誰の役に立つか」で語ると、役に立つ喜びが、学びを続ける強いエンジンになる
クローネ学園では、お子さんが自分の言葉で「なりたい姿」を語れる学びを大切にしています。
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本記事の文章・図版の著作権はクローネ学園に帰属します。無断転載・複製・二次利用を禁じます。(執筆:横田 耕祐)
FAQ
よくある質問
子どもに将来の夢がありません。放っておいてよいのでしょうか?
焦って夢を決めさせる必要はありませんが、放っておくのとは違います。子どもは、自分が知っている世界の中からしか将来を選べません。経済学者アマルティア・センは、人の自由を「実際に選べる選択肢の広さ」でとらえました。夢がないのは意欲の問題ではなく、選べる選択肢をまだ見ていないことが多いのです。親の役割は夢を決めることではなく、世の中にどんな仕事や生き方があるかという地図を、日々の会話の中で少しずつ見せていくことです。
子どもが「医者になりたい」と言いますが、勉強はしません。本気ではないのでしょうか?
本気かどうかより、なぜ医者しか出てこないのかを見てあげてください。人はすぐに思い浮かぶものを過大評価しやすく、これを利用可能性ヒューリスティックと呼びます。子どもが思いつく職業は、身近で耳にした限られた範囲に偏り、医者という答えはその狭い範囲で一番すごそうに見えるものを指していることが少なくありません。否定する必要はありませんが、それ以外の世界も一緒に見ていくと、志望はより自分のものになっていきます。
将来の話を家庭でするとき、何を話せばよいですか?
どんな仕事があるか、その仕事は誰のどんな役に立っているか、を一緒に話すのがおすすめです。職業を収入や地位ではなく「世の中にどう役立つか」という角度から見せると、子どもは自分と社会のつながりを想像しやすくなります。人は自分の力が誰かの役に立ったと感じるときに強い意欲を持つことが、動機づけの研究でも知られています。役に立つ喜びは、勉強を続ける強い理由になります。
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